石川九楊書塾生による書展「樂書会書展」

全体テーマ:痕跡(あと)—筆尖(ふで)はいつもふるえている
特別展示:映像《石川九楊先生 図録サイン「1000と千」を書く》

・自由創作/臨書
・課題臨書 テーマ「三色紙(寸松庵色紙、継色紙、升色紙)」

第16回 東京展 東京芸術劇場 (5階ギャラリー1)
2017年10月22日(日)〜10月25日(水)
11時〜20時(初日は13時から/最終日は17時まで)
10月22日[日]15時〜[ 出品者によるギャラリートーク ]
10月23日[月]17時〜[ 石川先生による公開寸評会 ]

第35回 京都展 京都市美術館別館(1階)
2017年11月28日[火]〜12月3日[日] 9時〜17時(最終日は16時まで)
12月2日[土]13時〜[ 出品者によるギャラリートーク ]
12月3日[日]13時〜[ 石川先生による公開寸評会 ]

出品者:
秋尾沙戸子/有馬浩一/安藤支楊/飯島秀親/五十嵐洋子/石井文康/石橋伸一/石原好子/今西知夫/大久保隆嗣/岡本早織/オダンシルビー/加藤明子/加藤堆繫/加藤奈緒美/加藤亮太郎/金田 良/神谷弘子/川添悦子/川原隆弘/北原美保恵/北村典生/楠富千恵美/久保久子/坂井有香/阪口和余佐野のり子/清水志郎/嶋村和恵/下島賀久子/白波瀬範子/鈴木伸夫/銭谷美幸/高城相玉/髙濵淳子/瀧本佳代/竹田良子/田中智恵子/田村伊都子/塚田哲也/土屋眞哉/土屋比佐子/中川永綏/中森千晶/新居雪楊/西潟弘明/納冨洋子/羽田秀子/濱田翠楊/林 加楊/林 直樹/原 悟/東仲佳奈子/平野育子/福井紅楊/福岡富久栄/藤田晶子/藤田佳楊/穂刈多津子/細川新也/堀川佐江子/松井初代/松田千代/宮田 光/村山奈々絵/望月サラン/山田爽翠/山田和楊/横山てる美/横山百合子/吉内涼子/渡利美重子(50音順)

新刊「日本論 文字と言葉がつくった国」

この世に日本語と呼べるようなひとつの言語がまずあって、その外側に、これを表記する道具としての文字として、漢字があり、ひらがながあり、カタカナがある――といった考えかた。これが大まちがいだと著者は言います。
それでは、ほんとうはどうだったか。「日本語」というのはなかった。実際にあるのは、漢字語とひらがな語とカタカナ語。三つの言葉があって、これらが入り混じった言語をわれわれは、大まかに日本語と呼んでいるにすぎない。こう考えれば、漢字語がなくならないかぎり漢字はなくなることはなく、ひらがな語がなくならないかぎりひらがなはなくならない。カタカナ語がなくならないかぎりカタカナはなくならない。だから漢字も、ひらがなも、カタカナも、そのまま生きつづけて現在にいたっている。そのしくみがよくわかるはずだというのです。
「日本語」があって、それを漢字・ひらがな・カタカナで「書く」ということと、「日本語」はなく、あるのは漢字語とひらがな語とカタカナ語、この混合物を「日本語」と呼んでいる、というふうに考えることとの違い、この飛躍はなかなかむずかしい。同じことではないかと一般には考えられてしまいそうですが、ほんとうに、なるほどわかったというふうに腑に落ちると、ものを見る見かたがガラッと変わって、いろんなものが今までと違うかたちで見えてきます。
世界にも希な漢字仮名交じり文という表記法を有し、その下で文化を発展させてきたわれわれの意識構造には何が刻みこまれているのか、変えることはできるのか……。少なくとも、われわれがいかなる存在であるかを認識することはできるはず。「文字と言葉」という観点から和辻哲郎『風土』、九鬼周造『「いき」の構造』、新渡戸稲造『武士道』、鈴木大拙『日本的霊性』、土居健郎『[「甘え」の構造』、ベネディクト『菊と刀』、中根千枝『タテ社会の人間関係』などの日本文化論の名著といわれる書物を読みなおすとき、思いがけない「この国のかたち」が見えてきます。

著者:石川 九楊
定価 : 本体1,500円(税別)
単行本(ソフトカバー): 208ページ
出版社: 講談社 (2017/10/11)
発売日: 2017/10/11